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ブログの意味

子どもの塾の先生が言っていました。

芥川賞と直木賞違い。

感性と技術。

芸術には枠はないように、文章、詩、絵、彫刻、陶器、木工、きりがない。

私は誰にもそれを決めることはできない。

人が十人いれば十人の表現があり、それはすべて素晴らしいモノなのだ。

人が本来自由に表現するのは

「相手を思いやり」

「自分の存在を思いやり」

「すべてを許せる」

のが表現かなと思う。

先生曰く、

日本語にない表現を子ども達がするといいます。

(いわゆる記号・・♪や!.★等など、携帯の影響ですね。)

しかし、それは現実で

それも、大人達が作り上げてるのです。

じゃぁ、綺麗な日本語や言語てなんだろうね。(^^)←これも

現実を受け入れ

どこまで

私たちは行くのか、少し楽しみでもあります。

そして、いい年した私は責任や不安もあります。

一句

若き日に

見つめた桜

今もなお

つぼみ膨らみ

微笑みおもう

~かつては恋人と見た桜を月日が経つと気がつけば一人見つめている。しかし、自然は強く、命を育んでいる事に励まされるのでした・・つぼみは我が子なのかもしせんね。人間は良くも悪くも色々吸収するのでしょう、あるがままに、受け入れる準備を~

2008/3/1 tomo

   

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

らんさんの
>あるがままに、受け入れる準備を~
に、感動しました。

ので、
「俳句」を、おくります。

『青嵐(あおあらし)吸物は白牡丹』
(良寛さま作)

朝げの、お椀の中へ、
青あらしで飛んできたのは、
ひとひらの白牡丹。
これは、風流じゃあないか!

といった句らしいのです。

ならばボクは、
4月5月の『ぼたん』のお花見には、

『青葉よし椀持つて牡丹苑』
(海ton)

ですね。
・・「あっ、これって自然体じゃない!」
(笑い)cherryblossom

投稿: 海ton | 2008年3月 1日 (土) 20時05分

もうひとつ
書きましょう。


『あるがままに、受け入れる』
についてのボクの短歌と芭蕉の俳句です。


「花見時」

花は尚
盛りを知らぬ
人の世の
幸か不幸か
虎もあらわる
(海ton)


花見時は、一筋縄でいかない。
「お酒は入るは、仲間はいるは、
縄張りを守って、気は大きくなるわ」


らんさんの
>「相手を思いやり」
>「自分の存在を思いやり」
>「すべてを許せる」

そして、
>『あるがままに、受け入れる』
とはいかず、お酒のままに、
受けて立つ事になる。

お祭り時の話だが、
酒に酔った若い衆が、やくざに
喧嘩を売り、ドブに叩き込まれた
事がある。

そこで、花見時には、

>>「相手を思いやれなくても」
>>「自分の存在は思いやれて」
>>「すべてを許せなくて」

>>『あるがままに、受け入れれなくても』
喧嘩は、すべきでない。


まあ、喧嘩ぱやい人は、
人の少ない所でのお花見がお勧めだ。



『観音のいらか見やりつ花の雲』
(芭蕉)

深川の庵で臥せっている時に、
読んだ句らしい。
芭蕉の住まいから4キロくらい先に、
浅草寺の観音様の屋根(いらか)が、
見えたという?

・・または、黄砂か?
とか。
心の目で、見たのかな?
(芭蕉発句全集より)

・・のだがw

こういう句が読めてこそ、

>「相手を思いやり」
>「自分の存在を思いやり」
>「すべてを許せ」

>『あるがままに、受け入れる』
ことが出来るのであろう。

投稿: 海ton | 2008年3月 4日 (火) 09時06分

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