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女神の後ろ髪にしがみつく私

ヒトは生まれてくる

そして、ヒトはいつの日か必ず死ぬ。

そんな当たり前のことを病気や老いに直面すると受け入れられなくなる。

死ぬ事が怖くなる。

私は人には寿命があること、そうなること、があるのだと思う。

出会いや別れもそう。

すべてが等しく時間が流れる。

私は少しでもいや、ほんの瞬間でもいいから

貴方の笑顔が見たいと思います。

音楽で貴方が喜び、笑えるなら下手でもなんでも歌いましょう、奏でましょう。

そして、人として生を終える時に

ちょこっとでも楽しかったと感じてくれたら、

私は嬉しい。

私はそういう介護の気持ちを死ぬまで持ち続けたい。

初心忘れべからず。

どこまでいけるかわからないけど、今回は大丈夫な感じです。

友人達・家族に感謝しています。

チャンスをくれてありがとう。

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孤独

今日、生まれて初めてミサに行きました。

不思議と子どもの頃からあこがれていた・・・・。

二日酔いの頭をガシガシさせながら、

早朝のミサはあまりに美しく、涙がこぼれてしましいそうで。

シスターの美しい心が私には

眩しすぎました。

午後、自分の母親のところに行きました。

母はもう老人です。

話す言葉は昔の話です。

きっと母は自分の話すことを聞いて欲しいのでしょう。

なんていうか、受け入れも否定もなく、

「そうだね・・・。」てね、

たぶん、母くらいの年だと自分がこんな話を娘にしてしまった事に後から気がつくのかもしれない、そして、ほんの少し、後悔して忘れてしまうのだろう。

それでいいのかな。て思う自分がいたんだ。

もう、反抗でもなく、ひとつ一人の人として距離をおく。

孤独な女の姿を垣間見た。

本当は・・・

母は今までの自分歴史や体験を誰かに・・・いや、父に聞いて欲しかったのだろうね。

父はそれほど器量のある人ではない。

彼女が知る男は父だけだったんだ。

きっと、ほかにいた人はぐっと我慢したのでしょう。

・・・母がモジモジと話す昔話は

自慢でもあり、悲しくもあり、

私ではなく

愛する人に一生懸命聞いて欲しかったのだろうね。

うなずくことしかできなくて

ごめんなさい。

お母さん。

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女の子だもんね。

35年ぶりくらいに暇な時間ができた、2007年。

時間がある時に片付けをしておこうと最近思うようになった。

暇だから今後自分にとって何が大事か考える時間もできた。

大事なもの、とりあえず「本とCDとDVD。昔のアルバム、ギター、バイク・・」

猫や子どもはいずれ私のもとからいなくなるから。

靴も洋服もいらない、昔の洋服を着ていればいいことだし。太らなければね。

昔のアルバムを見ていたら、泣けてきちゃってだめだねぇ、年をとると。

息子あての荷物も作り封印した。

少しだけどちゃんと恋をした人と一緒にいた写真を入れておいた。

私が大好きだった彼との時間がちゃんとそこにあった。

その証拠に君がいるんだよってね。それでいいのかな。

私は老いたらわかるのだろうか、

あれが最後の恋だったって。

15に恋してあれから20年かぁ。

これから私はどうなるのだろうね。

5年後10年後。

やっぱり、人を好きになりたい、そうね、恋もしたい。

「あなたの事が大好きよ」と言えるようになりたい。

そう、いくつになっても

「女の子なんだもん!」(^^)

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悲しく詠うもの

自分の掌を見つめるとどうしても思い出してしまう。

綺麗な長い指、「ああ、この人にギターを弾かせたい・・・」

でも、もう生きていない。

私は習い始めのアコギ(友人はそーいうからさねぇ)をいじりながら

しみじみ自分の手を見つめる。

現実(リアル)にもどる。

時間ができた自分に贈り物をした。

渋滞した車内。

一人で流れるクルマやバイク、環八を走る対向車、トラック、乗用車。

私は一人。

どうしても一人で走る。

きっと、いつまでも探し物をしながらウロウロしているのでしょうか。

きっと、交番の警察官に聞いても

私の行く先はわからないのでしょう。

一人で歩き進む道なのでしょうね。

色々な人に支えられている事に

気がついています。ありがとう。

感謝しています。

私はきっと大事な人に

多く出会い生きているのでしょう。

以上(^^)

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また、会う日まで さようなら

Ikecyan_to_boku_ren このところ、急に寒くなった。

やはり、ネコにコタツ・コタツにネコとでもいうのでしょうか・・。

コタツをだしたら、急に猫たちが新聞や読書やパソコンの邪魔をしなくなった。

・・・・、わかっていた。

この仕事を選んだらどうしても「目をそむけることが出来ないこと」

そして、自らこの仕事を選んだこと・・・。

手を握った人が死んでしまった。

ほんの少しの時間に私に色々な思い出を残した。

車椅子をもっと早く押してといった、

私はもう外には出れないのよ!といった、

体を押さえられるのが嫌なのよ!といった、

綺麗な目で私を見て、折り紙をみて、私の下手な歌を聴いてくれて、

ありがとうございます。

私はあなたが逝く時少しわかりました、辛くないように、痛くないように、祈りました。

貴方を微笑んで送り出していました。

貴方は長く生きて強がって、頑張っていました。

もう、それから解放されて貴方は私にも挨拶にきてくださいました

、私は嬉しくなりました。

ありがとう。

きっと痛い足も苦しい胸・お腹も楽になっているのいるのでしょう。(^^)

私がめげていたら、ガツンと叱って下さいね。

私、一生懸命生きていきます。

貴方に会えて良かった。

また、会いましょう。

※添付画像 さく 西原 理恵子 「いけちゃんとぼく」 と 「れん」

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2度泣かされた「ALWAYS・続・三丁目の夕日」

映画「ALWAYS・続・三丁目の夕日」

を・・息子と観てきた。

結論は親子で号泣・・・。(^^)

私は昭和34年という時代をたんに私が生まれる

14年前の話だなぁと観ていた。

映画だし、良いとこ撮りと思っていた。

その昭和34年は私の両親が地方から出てきて20歳から23歳の頃。

まさに東京のその場所に生きていた。銀座や都電・日本橋。

何もないけど、みんなが懸命に生きていて、人情がありました。

映画券の売り子さんのはからいでこっそり入った映画館。

保険証がない娘の治療・・・。

みんなが気取らないで生きていた時代。

私はそれを母から聞いた。

この映画の時代には私は生まれていないけど、

私の子どもの頃の思い出はスキヤキの喜びや、テレビや電子レンジ・ビデオ

週末のデパートでのレストランで食べるチョコレートパフェ・・。

たまに買ってもらったお人形。

忙しい生活の中で両親はそれなりの愛情を表現したのでしょう。

平成生まれの息子と昭和生まれの私。

息子は私と男はつらいよを観ていたせいかすんなり昭和を受け入れている。

さてさて、彼には本日の勉強(?)として

「ALWAYS・続・三丁目の夕日」感想文

ひいひい言いながら作文用紙2枚。

学校に塾に出すわけでもないその作文を読んで私は泣いてしまいました。

宝物ですね。

最後に、彼はこうしめくくりました。

「淳之介が連れて行かれようとしたときに、ヒロミさんがもどってきてすごい泣いてしまいました・・・・・、

また、三丁目の夕日がみたいです。」

でした。

私は昭和という時代がとても大変でまた、急激な変化をした時代と感じてられるは

仕事で関わるお年寄りのおかげでもあるのです。

人との繋がりや人の心に宿る温かさ・温もりは繋がれていくのですね。

良い映画をありがとうございました。

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貴方に会えて良かった

すっと思うと・・・、

私はとても幸せな人間なのでしょう。

いやな思いもしたよ、辛い思いもいた。

これからもきっとある。

でも、問いかけたらなんだかんだと答えてくれる人たちがいる。

それってとても嬉しい。感謝で感激している、私。

少しずつ人とかかわり「絆」を感じます。

そして、音楽。

私にとって音楽は重要なポイントなのでしょう。

それを忘れないようにしてくれたが人います。ありがとう。

バイクは私にとても大切な思いがあります、

子どもの頃、サッとバイクで現れたそのバイクに惚れた。

私は5歳の頃、初恋と同時にフォルクスワーゲンに惚れた。

バイクは孤独を超えた優しさを感じた、そばにいること。

クルマやバイクと共にいると駆け出したくなる。

「待たせてゴメンネー!」と。

私の愛する猫とクルマとバイクと音楽と酒。

これは私の生きる「テーマ」なのだろう。

出逢う人はこれらに導く。

まったく、人の命は上手に導かれている。

ありがとう、貴方に逢えて本当に良かった。(^^)

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大切なものは目にはみえない

小学校以来、予防接種というものをしたことがなかった。

青だか赤だかあのイヤーな用紙を思い出す。

お風呂にはいったらいけません・・・ならお酒は飲んでもいいのかなぁと

ちびちびやりながら昔を思い出す。

冬支度をしながら、

ちょこちょこギターをいじりながら、集中力も落ちてるなぁと思う。

老いるとはこういうことの積み重ねなのかなぁ。

老いて死んでいく人に生きる希望の言葉はあまりにもお粗末なんだ。

どうしたらいいのだろう・・・。

私ならどうして欲しいのだろう、

いくら考えても私はその人にはなれないし、その人も私にはなれない・・・。

答えは自分の中にあるのかな・・・。

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歴史という・・・・・

今日は病院に行く日だった。

担当医とセラピーの先生。いつも事務的な担当医のから「仕事はじめて大丈夫ですか?」

と言われた。驚いた。お医者さんは薬を出すだけにいるのかと思っていたから・・。

ありがたいなぁーと感じた。

セラピーの先生も優しいし、私は幸せなんだなとしみじみ感じた。

これから私はまるで違う・知らない世界で仕事をし、生活をしようとしている、

でも、沢山の人に支えられて毎日を過ごしていけるのかなと感じた。

それはお世話をさせて頂いてる人たちから教えてもらった。

怒涛の時代を生き抜き、気高く、素晴らしい人達、私たちは現実に何も知らなすぎる事を

言葉ではなく、命で教えて下さる。

ありがとうございます。

「自分にできる事をしなさい」と貴方は言われました。

ガツンときました。

さすが、大正の女は気丈なわけです。

貴方に私にできることは「何もない」です。

ただ、貴方の知らない間に歴史を学びます。日本を世界を知ります。

貴方のおかげです。

貴方の命、繋ぎ、紡ぎます。

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どこか誰も知らない場所で

静かに暮らしたい。

毎日、朝が来て日が沈みそれをぼんやり眺めていて・・・。

寝て食べてほんの少しの音楽と本があればいい。

野良猫でも相手にして・・。

誰も知らないうちに死んでしまってもいい。

そんなふうに私はなりたい。

私は十分愛した、

その肉をわけた人間もいる。

静かに、静かに、暮らす準備にとりかかりたいな。

一人静かに生まれた場所に帰りたい。

ちょっと、疲れています・・・。

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笑顔

Sca390028 いつも パソコン画面の上からひょっこりいるこの子

雨の日にうちに来たから「レイン」で「レン」と名前をつけた。

レイだと息子と同じ名前になってしまうので。

まぁ、発音が似ているので二人(匹)とも返事をするけどね(^^)

レン・彼は私につかず離れず、呼べば甘え、うざいといえば向こうに行く。

私が眠ればそばで眠る・決して布団には入らない。

まるでボディガードのように距離を置く。

「お前が人間の男ならさぞかし私好みの男だろう」なんて

勝手な事をいうワタシ。

そういえば、最近音楽を習い始めた。

子どもの頃からあこがれていた「ギター」

おばさんが衝動的にギターを買って子どもにまぎれ音楽を習うなんて20年前の私には想像もできないだろう。

音楽は心の様子を表現するのかもしれない。

すべてが用意されたように

形が作られ、いつか完成するのかもしれない。

その、完成した日を楽しみに生きていこうと思う。

なにもかもが、用意されたものであるとやっと気がついたように思うし、

忘れてしまわないように。

微笑んでいようと思う。

下手くそな私の音楽に集まるのは猫と子どもなのだ。

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祈り

2007fall 初めてのクルマ長距離ドライブ。

たどり着くとそこは「ふるさと」だった。

やはり、私はクルマやバイクを愛しているのだなぁ、自分の心を支えてくれる。

数年前に父の購入した「エリシオン」

ホンダのクルマ・バイクの好きなところはクルマに命(名前)をつける事です。

「極楽」(エリシオン)・・・・ギリシャ語

このクルマを初めて考え、作り出した人たちの優しさを感じた。

名前をつけた方の心の豊かさ。クルマを愛する魂。

「乗り手も乗る人も心を豊かに優しくしてくれる」

私の心と共鳴しました。

ただ、乗りやすい、便利だけじゃないのかもしれない。

そう、クルマやバイクは乗り手と共鳴して「初めて力をみせる」

その力は攻撃でもなく戦いでもなく、「共に進む安らぎ」のように感じたんだ。

そう、私は「バイク乗り」だから本当は昔から知っていたのに知らんぷりしていたんだ。

S・A(サービスエリア)で真正面に佇むクルマと沢山のバイクとの間で私は

我に返ったのでしょう。

「もう、振り返らないでいいんだよ」ってね。

私の愛するクルマやバイク・人々や動物達へ

これからもめげます、でも

みんながいるから起き上がり進みます。

ありがとう。

そして、私を見守る人たちが愛を受け入れ孤独に泣かないように

祈ります。

・・・ありがとう・はづきさん、かこ、ととろさん。

そして、すべての人々に。

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Ca390022  野良猫が私のそばで「にゃごにゃご」語る。

 バッタを食べていた。

そうだね、私も昔、おばあちゃんがくれたイナゴを食べていた。

気持ち悪い?とんでもないよね、あの頃は農薬もなく、すべてそのままのはたけで命が営われていた。

イナゴも沢山いたんだ。夏になれば、トマト、きゅうり、ナス、枝豆・・・。

トウモロコシ。

見渡す限りの畑と山があった。

おばあちゃん、あんころもちをくれた、梅干しをくれた、うどんも美味しい、

飼っていた大事な豚もお母さんに持たせて、私たちは美味しく頂き、大きくなった。

私はおばあちゃんの大事な豚を見たよ、

子ぶたを沢山産んでお母さん豚は食肉になるんだ。私は子どもだったけど知ってたよ。

おばあちゃんは辛い、泣いてたね。

でも、私はその豚さんを食べたよ、美味しかったよ。

おばあちゃんが大事に育てたから。今でも豚さん覚えてる。

私は大人になったんだ。おばあちゃんの肉体はこの世にはないけど私の中に生きてる

ね。おばあちゃんの大事な豚さんも私の一部になってるよ。

そうそう、おばあちゃん、私は今とても辛いの。

どうしたらいいかわからないの。

私以外はみんな信用できないし、敵だと思うの。

自分の子供でさえ。

私はどうしてしまったんだろうね。

裏切られるのが怖いし、裏切るかもしれない自分が怖いの。

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